お疲れさまでした

今の時期は公園だけでなく街路樹も緑が濃くなり

強い日差しを遮って

涼しい日陰を提供してくれます。

ところが今朝、思いがけない樹と出会いました。

 

その樹は冬の間は小さな緑の茂みをつけていました。

一冬の間、あそこだけ緑なのはなんでだろうなぁ

などと呑気に見上げていました。

その緑が寄生植物のヤドリギだと知ったのは

先日見たNHKの番組で紹介されたからでした。

 

いつもほ他の樹々の緑に隠れて気にもならなかったのですが

今朝、不意に全く葉を付けていないその樹が目に入ってきました。

薄曇りの空に枯れてしまった樹の周りは

そこだけ真冬のようでした。

思わず近寄って見上げると、木肌もボロボロしていて

触った感触も既に生命力を感じません。

潜伏芽も全く出ていませんでした。

 

私は自然界の四季は、人間の一生のようだ思っています。

私たちの一生は、自然界にとては一年くらいの感じかなぁ…

つまり、自然の長さをそのくらい悠久だと捉え

終わりを目にすることは

それこそ、屋久島の縄文杉などの長い時間を生きている樹の話

のように考えていました。

ところがこの樹はそこまでの寿命があったとは思えません。

まさか、一冬寄生されただけで枯れたとも思えません。

理由はわかりませんが

生が終わるという事を

見せてくれているように思えます。

 

自然の中ではなく庭園の中の樹なので

そのうち切られてしまうのでしょう。

自分の一生を生き切って静かに終わろうとしている

この樹の最後に出会えたのは

全てに終わりがあるという事を

自然体で受け入れるように教えてくれているようです。

 

お疲れさまでした。

ありがとうございます。

また、明日。 

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ありがとうございます