ジレンマを抱えながら始まったウィズコロナ

月曜日から日常が戻りはじめました。

学生の姿もチラホラ見かけます。

二ヶ月遅れの新学期は、不安と期待が入り混じっているのでしょうか。

できるならば、期待が多いことを願うばかりです。

 

朝の散歩コースのスタートになる駅も元に戻りました。

私の利用する改札口に向かうための長いエスカレーター、

運転停止していた1機も運転を再開し、無人だった窓口も元に戻りました。

 改札口に向かう人はあまり増えていませんが

少しずつ社会が動き出したことを実感させられます。

 

ところが人間というのはわがままにできているようで

人が増えた電車に乗りながら混み具合が気になります。

私の乗る電車はそれほどではありませんが

SNSには満員電車の写真が掲載されていて

あそこに乗るのは辛いなぁ、と思ってしまいます。

職場の同僚や顔なじみの人々となら近寄って会話するのに抵抗が少ないのに

見ず知らずの人だと急に気になる。

誰が感染しているのかわからないのに

それどころか自分が感染しているかもしれないのに

そばに人がたつと、チラ見したりされたり。

 

こんなことを日々繰り返していたら、気持ちがささくれてしまいそうです。

人に優しくしたいのに…

気持ちと行動のジレンマにまたまたイライラしてしまう。

「コロナで失うもの」と「経済活動の停滞で失うもの」

この難しいバランスをこれから模索していくためには

自分の心のいやらしさと向き合い

人への信頼感を思い出さなくては進めないように思えます。

 

「希望」という感情は「絶望」の先にしか感じられない

と、ハーバード大学の研究者は述べています。

敗戦からの復興、たびたびの自然災害からの復興

バブル崩壊リーマンショックからの復興。

自分が体験して乗り越えたもの

先人たちが乗り越えてくださったもの

さまざまな絶望の先に光が見えたことを思い出して

ジレンマを抱えながらのウィズコロナ。

自分にできることにひとつづつ向き合っているか

試されている気がします。

 

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公園の梅も色づきはじめました