見えないのは、見えないと思っているからかもしれません

昨日の朝、関東地方は濃霧に覆われていました。

私が利用する駅はお隣の駅との間隔が短くて

いつもなら隣駅に到着する前から電車が見えるんです。

ところが昨日の朝は、利用駅から数百メートルの距離まできて

ようやくヘッドライトが見えるくらいでした。

 

地下鉄を降りて地上に出たらもう霧は晴れていて

青空が雲の切れ間から覗いていました。

昼間は気温が上がると言われていましたが

朝のうちは雨上がりで空気は冷たくて、

そろそろ手袋がほしいぐらいでした。

 

毎朝同じ時間に同じ場所を歩いていると

季節のわずかな進み具合も目につきます。

ドラマで良く見る国会前の銀杏もずいぶん色づいてきました。

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銀杏も色づいて

 

皇居のお堀のカモも数が増えてきました。

面白いぐらいグループ別に固まっているなぁ

なんて思いながらお堀の向こう岸をみながら

「あの樹、どうしちゃったんだろう」

って、思うことが一つあります。

以前、カモと一緒に写真に写した小さな落葉樹が

ある時気付いたら、なくなっていました。

「えっ、切られた?それとも場所が違う?」

朝歩くたびに探すんですけど、見つけることができません。

 

それが昨日の朝、見つけることができたんです。

樹はもとのところにありました、当たり前ですけど。

まだ小さくて枝も細いので、

後ろのお堀の土手の落ち葉に同化していて見つけられなかったんです。

なんで今日は見つけられたんだろう、と考えて一つ思い至りました。

ないと思って探すか、あるはずだと思って探すか

この、心持の違いだったのかもしれない。

 

よく人は「見たいものを見て、聞きたいものを聞いている」

と言われます。

私も樹が無いことに最初に気付いた時は

「なんでないんだ」と思って目を凝らしましたが

その後は、「ないなぁ」と思いながらみていたんです。

それが昨日は「ないはずがないのに」と思って目を凝らしたら

浮かび上がるように見えてきました。

「あー、あったー!!」心の中でガッツポーズをしました。

 

普段から私はこうして知らず知らずに取りこぼしているものがたくさんあるんでしょう。

自分で世界を狭めているように思ったら、もったいないことしてきたもんだ。

少し好き嫌いの壁を低くしたら

今まで見えなかったものが見えそうです。

そう思ったら、楽しみが増えそうでちょっとウキウキしてきました。