今日だけここは (ちょっとだけ) 倫理です
昨日は春分の日、昼と夜の長さがほとんど同じ日でした。
夏至に向かって昼の時間が長くなっていきます。
先日、中国医学のかかりつけ医に診てもらったら「気力が落ちている」と言われました。血の巡りや気力が回復するお薬を処方していただいたんですが、その際に先生に「今は気力が落ちているから大丈夫だけど、春は気が高揚してイライラしやすいから気を付けて」と言われました。
春は芽吹きの季節で、活力がみなぎる季節です。人間は活力がみなぎりすぎるとイライラしちゃうらしいんです。こういうことを知ると人間も自然の一部だと実感しますね。
私のお散歩コースにある公園も、葉を落としていた樹々の枝に葉が芽吹き、花々も一斉にカラフルな花を咲かせ始めました。
その中にネモフィラの花壇が二つあります。片方の花壇はネモフィラがきれいに咲き始めていますが、もう一つの花壇はホトケノザという紫の小花が咲き誇っています。
去年もそうでしたが、ネモフィラよりも先にホトケノザが咲き誇ります。その咲き誇っているホトケノザを一本一本抜いて、きれいなネモフィラの花壇は出来上がります。
作庭というのはそういうものです。デザインされた庭に必要ない花や雑草は抜き取られます。でも、雑草にしてみたらたまったものではありません。
雑草には雑草の言い分があるはず…。
先日読んだクラウス・シュワブとティエリ・マルレ共著「グレート・リセット」という本の中にこんな一節がありました。
「人はほぼ常に、倫理観を背負いながら行動しているのだ。」
二極化に進む社会において、自分の倫理観の中で物事を考えている間は、違う世界の倫理観の中で導き出された結論を理解するのは難しい。たぶんみんなそれは薄々は気が付いているけれど、なかなか直視して行動を変えるのは大変です。
それでも、これまでの価値観が変わる「風の時代」を生きていく私たちは、違う意見を頭ごなしに否定するのではなく聞く耳を持ち、そのうえで違いを認められるようになりたいと思います。